振甫&若水地域会 合同行事 晩秋の建中寺・徳源寺を参拝!!

週末から寒波襲来の予想があるが、本日1日中快晴の小春日和(最高気温17℃)に恵まれ、両地域総勢23名(振甫13名(男性8名・女性5名)/若水10名(男性8名・女性2名))の参加者で振甫地域会の幹事にて合同行事が開催されました。
今回の行事は、建中寺と徳源寺での見学と食事会の催行でありました。
午前9時45分建中寺の山門(三門)に全員集合し、境内にて今回のガイドさん3名(大蔵様(女性)、久保様、伊藤様)の方の紹介から始まり、振甫地域会と若水地域会とに分かれ、それぞれ大蔵様及び久保さんのガイドでスタートしました。
① .建中寺は余りにも著名な名刹で、徳川家の菩提寺(浄土宗)であります。本堂は、徳川藩主 源敬公(1,611年生)の死去(1,650年)に伴いその息子・光友が1,651年に建立した源敬公霊廟です。然し1,785年火事で焼け(三門だけ残る) 1,787年に再建されています。そして太平洋戦争の戦火に辛うじてまぬがれ今日に至っています。
名古屋市内で木造本堂では最大の建物。本尊は阿弥陀如来で止利仏師の作と言われ、如来様の左側には伝道大師、右側には法然の仏像が鎮座致しております。
「山門(三門)」の三門とは、三解説の意味で “空・無相・無願”。 上層には「釈迦三尊像」と「十六羅漢」が鎮座している。本堂内部の欄間の彫刻は非常に鮮やかな彩色が施されている。阿弥陀如来像に向けて「南無阿弥陀仏」を10回唱えると、娯楽浄土に行けると言われています。
② 源正公廟は建中寺を開祖された光友公(源正公)を祀った御廟であり、市指定の文化財となっている。建中寺には、藩祖を除く2代~13代までの12藩主が祀られていたが、現在建中寺にある藩主の墓はこれのみで唯一建立当初から残されたものである。
③ 徳源寺は、「臨済宗妙心寺派」。織田信長の次男である信雄(のぶかつ)が文禄元年(1,592年)に熱田に徳源寺の前身である「清涼山宝泉寺」を建立。その後、昭和区石仏に移り、織田信雄の戒名が「徳源院」と言う事から「蓬莱山徳源寺」に改称した。
  境内には、「釈迦涅槃像」と「五百羅漢像」がある。
④ 12時30分 全ての鑑賞が終わり、近くの「太閤本店主税町店」にてお食事会をもちました。両地域の皆様と約1時間半、親しくしばし歓談の時間をもちました。
⑤ 本日ご参加の皆様大変お疲れ様でございました。時節柄くれぐれも御身を大切になさいますようお願い申し上げます。

  建中寺本堂前で参加者全員            建中寺総門前にて          ガイドさんの説明を聞く    

<ここをクリック> 11月22日 振甫・若水地域会 合同行事 模様

会員からのコメント

  1. 会長 小松憲次 より:

     若水&振甫両地域会の合同行事が厳粛の内に開催されお疲れ様でした。建中寺及び徳源寺は由緒あるお寺さんであることはそれとなく知ってはいましたが、詳しく解説して頂き良く理解致しました。若水・振甫地域会の益々のご発展と会員皆様のご健勝をお祈り申し上げます。 合掌

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